「また今日も来てしまった」
風間彩子(仮名・58歳)は、息を吐きながらマンションのエレベーターに乗り込みました。15年前に購入したこのマンション。当時は夫の直樹さんと二人の子どもたちとの幸せな家庭を思い描いていました。しかし今、子どもたちは独立し、直樹さんとは3年前から別居状態。彩子さんは一人でこのマンションに住み続けています。
「熟年離婚」という言葉は2005年のテレビドラマから生まれた流行語だそうですが、今では珍しい言葉ではなくなりました。彩子さんもその一人。長年の夫婦生活に終止符を打つ決断をし、離婚の話し合いはまとまったものの、まだ正式な届出は済ませていませんでした。
そんな彩子さんの最大の悩みは、このマンションの名義をどうするかということでした。
司法書士への相談
「先生、このマンションの名義を夫から私に変えることはできますか?」
彩子さんが私の事務所を訪れたのは、桜が咲き始めた春のことでした。マンションの名義は夫の直樹さん名義。彩子さんは離婚後もこのマンションに住み続けたいと考えていました。
「離婚の話し合いはついているけれど、届出はまだなんですね?」 「はい。でも、早く名義だけでも変えたいんです」
彩子さんの焦りは理解できました。しかし、法律上のハードルがいくつかあります。離婚前に名義を変更すれば「贈与」とみなされ、高額な贈与税が課せられる可能性があります。配偶者への居住用財産贈与の特例も考えましたが、残念ながら婚姻期間の条件を満たしていませんでした。
「彩子さん、まずは正式に離婚をして、財産分与として名義変更をするのがベストです。そうすれば贈与税を避けられます」
彩子さんはほっとした表情を見せましたが、この問題はそう単純ではありませんでした。
住宅ローンという壁
「ところで、住宅ローンはまだ残っていますか?」
私の質問に、彩子さんの表情が曇りました。
「はい、あと10年ほど残っています。毎月の支払いは夫がしていましたが、最近は滞りがちで…」
ここに来て本当の問題が浮かび上がりました。熟年離婚で最も厄介なのは、子どもの養育費に次いで住宅ローンの問題なのです。
住宅ローンは、申込者(債務者)がその住宅に住み続けることを前提に融資されるもの。離婚によって債務者である直樹さんがマンションを出ることは、ローン契約の前提を覆すことになります。
「銀行は、あなたに十分な返済能力があるかを心配するでしょう。名義変更の登記自体は銀行の承諾なしでもできますが、その後のローン返済が滞ると、最悪の場合、住む場所を失うリスクがあります」
彩子さんは不安そうに話しました。「パートの収入だけでは難しいかもしれません。でも父から援助を受けられるので、最悪の場合は一括返済も可能です」
その言葉を聞いて少し安心しましたが、それでも慎重に進める必要があります。
解決への道筋
「彩子さん、まずはご主人と財産分与について正式に合意することが先決です。そして離婚が成立した後に、財産分与を原因として名義変更の手続きを進めましょう」
そして重要なポイントを伝えました。
「銀行に対して離婚による名義変更の相談をするのは、ローンの返済計画を固めてからにしましょう。順序を間違えると、名義変更が難しくなるばかりか、離婚自体の時期にも影響が出かねません」
彩子さんは真剣に聞き入っていました。
「わかりました。まずは夫と話し合いを進めます。本当にありがとうございます」
熟年離婚と住まいの選択
彩子さんのケースは、熟年離婚における住まいの問題の典型例と言えるでしょう。住宅ローンが残っている場合、考慮すべき要素はいくつもあります:
- 住宅が単独所有か共有か
- ローンの債務者が誰か
- ローン残高はどれくらいか
- 離婚後も誰がそこに住むのか
特に彩子さんのように、夫の単独所有・夫だけが債務者で、ローン残高が大きく、夫が出て行き妻が住み続けるケースは最もリスクが高いと言えます。
離婚後も夫にローンを支払い続けてもらう必要がある場合は、その約束を公正証書にしておくことをお勧めします。そうすれば、万が一支払いが滞った場合にも法的な対応が可能になります。
エピローグ
それから3か月後、彩子さんから報告の電話がありました。
「先生のアドバイス通り進めました。離婚も成立して、名義変更も無事完了しました。父からの援助で残りのローンも大幅に減らせました」
彩子さんの声には安堵感が満ちていました。
「新しい人生のスタートです。この家で私なりの第二の人生を歩んでいきます」
熟年離婚という人生の岐路に立った時、住まいの問題は大きな不安要素となります。しかし、正しい順序と的確な準備さえあれば、新たな一歩を踏み出すことができるのです。
あなたもし同じような状況にあるなら、まずは司法書士に相談することをお勧めします。人生の新章をスムーズに始めるための第一歩となるでしょう。
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