親族間売買の落とし穴
~ある家族の事例から学ぶ~

Shiho-shoshi

はじめに

司法書士として25年以上、数多くの不動産取引に携わってきた私ですが、最も心を痛めるのは「身内だから大丈夫だと思った」という言葉とともに相談に来られるケースです。

今日は、実際に私が関わった田中家(仮名)の事例をもとに、親族間売買の注意点についてお話ししたいと思います。

第一章:相談室での出会い

「先生、娘に不動産を売りたいんですが、どうすればいいでしょうか」

初めて田中様が事務所を訪れたのは、昨年の春のことでした。70代の田中様は、ご自身が所有する一軒家を、次女の美咲さんに売却したいとのことでした。

「すでに口頭では話がまとまっていまして。相場は5,000万円くらいだと思うんですが、娘には3,000万円で譲ろうかと」

私は、この瞬間に警戒信号が点滅するのを感じました。司法書士として、親族間売買のリスクを数多く見てきたからです。

「田中様、親族間売買には慎重な対応が必要です。まず、いくつか確認させてください」

第二章:親族間売買のメリットとリスク

私は田中様に、親族間売買の特徴について丁寧に説明しました。

「確かに、親族間売買にはメリットがあります」と私は言いました。

身内同士であれば、相手のことをよく知っているため安心感があります。また、価格や支払条件、引渡時期なども柔軟に決められます。何より、田中様のケースのように、将来の相続トラブルを未然に防ぐという大きな意義があります。

不動産は現金と違って分割が難しく、相続時にもめる原因になりやすい。だからこそ、親御さんが元気なうちに、相続人の一人に適正価格で売却しておくことは、有効な相続対策なのです。

「でも」と私は続けました。「親族間売買特有のリスクも存在します」

田中様の表情が曇りました。

「最も注意すべきは、みなし贈与の問題です」

相場5,000万円の不動産を3,000万円で売却した場合、差額の2,000万円について、税務署から「実質的には贈与ではないか」と疑われる可能性があります。みなし贈与と判断されれば、娘さんに多額の贈与税が課される恐れがあるのです。

田中様は驚いた様子でした。「売買なのに、贈与税がかかるんですか?」

「はい。たとえば差額が4,000万円なら、贈与税は1,530万円にもなります。これは取得価格を大幅に超える金額です」

さらに、親族間売買では税制上の特例が使えないことも多いと説明しました。他人への売却なら利用できる「居住用財産を譲渡した場合の3,000万円の特別控除」も、親子間では適用されません。

また、住宅ローンの利用も困難になりがちです。金融機関は、親族間売買では融資金が目的外に使われるリスクや、みなし贈与の問題を警戒するため、審査が厳しくなる傾向があります。

第三章:もう一つの重要な問題

「それから、もう一つ確認させてください」と私は尋ねました。「長男の健太様には、この件をお話しされていますか?」

田中様は言葉に詰まりました。「まだ…本格的には伝えていません」

これが、親族間売買で最も見落とされがちな落とし穴です。

私はこれまで、相続発生後に「兄弟の一人だけが親の不動産を安く買い取っていた」ことが判明し、深刻な相続トラブルに発展したケースを何度も見てきました。

「田中様、必ず事前にご長男にも相談してください。親御さんの不動産は、潜在的にはすべてのお子さんの相続財産です。一人だけが取得することについて、他のお子さんの理解と同意を得ることが、将来の家族関係を守るために不可欠なのです」

第四章:正しい手順で進める

私は田中様に、親族間売買を適切に進めるための具体的な手順を提案しました。

1. 適正価格の設定 まず、不動産鑑定士による評価を受けることをお勧めしました。相場から大きく離れた価格設定は、みなし贈与のリスクを高めます。

2. 正式な売買契約書の作成 「身内だから」と簡易な書面で済ませる方も多いのですが、これは危険です。売買契約書は、税務署に対する証拠であると同時に、他の相続人とのトラブル防止にも役立ちます。

3. 重要事項説明書の準備 住宅ローンを利用する場合、金融機関から求められることがあります。また、物件の状態を明確にしておくことで、後々のトラブルも防げます。

4. 家族全員での話し合い これは法的義務ではありませんが、司法書士として最も重要だと考えている点です。

第五章:家族会議の実現

私のアドバイスを受けて、田中様は家族全員を集めて話し合いの場を設けました。

後日、田中様から連絡があり、会議の様子を教えていただきました。

最初、長男の健太様は複雑な表情だったそうです。「実は僕も、あの家に思い入れがあったんだ」と。

しかし、美咲さんが「家族の思い出の場所だから、大切にしたい。兄さんたちもいつでも遊びに来てほしい」と誠実に説明したことで、健太様も理解を示してくれたといいます。

そして、価格についても家族で話し合い、不動産鑑定士の評価額4,500万円を基準とすることで合意されました。

第六章:手続きの完了

その後、私は以下の手続きを進めました。

  • 不動産鑑定士による正式な評価
  • 詳細な売買契約書の作成
  • 重要事項説明書の準備
  • 所有権移転登記の申請

美咲さんは住宅ローンの審査にも無事通過し、すべての手続きが滞りなく完了しました。

登記完了後、田中様は私の事務所を訪れ、こう言ってくださいました。

「先生に相談して本当に良かった。もし自分たちだけで進めていたら、娘に多額の贈与税がかかっていたかもしれないし、息子との関係も悪くなっていたかもしれません」

司法書士からのアドバイス

この事例から、親族間売買を検討されている皆様にお伝えしたいことがあります。

親族間売買だからこそ、専門家に相談を

「身内だから大丈夫」という油断が、最大のリスクです。むしろ親族間売買だからこそ、以下の点を必ず守ってください。

✓ 必ず売買契約書を作成する 口約束や簡易な書面では、税務署への説明も、将来のトラブル防止もできません。

✓ 適正価格で取引する 相場とかけ離れた価格は、みなし贈与を疑われます。不動産鑑定士の評価を受けることをお勧めします。

✓ 他の相続人にも事前に相談する 将来の相続トラブルを避けるため、必ず家族全員で話し合いましょう。

✓ 税理士、司法書士などの専門家に相談する 税務上の問題、登記手続き、契約書の作成など、専門的な知識が必要です。

税制上の特例が使えないことも念頭に

親子間、夫婦間、同一生計の親族間の売買では、多くの税制優遇措置が適用されません。この点も事前に税理士に相談し、総合的なコストを把握しておくことが重要です。

今日のポイント

司法書士として、私は「家族の絆を守る」ことも重要な役割だと考えています。

親族間売買は、適切に行えば相続対策として非常に有効な手段です。しかし、手順を誤れば、税務上の問題だけでなく、家族関係にも深刻な亀裂を生じさせかねません。

「身内だから」ではなく、「身内だからこそ」慎重に。

これが、数多くの親族間売買に携わってきた私からの、心からのアドバイスです。

親族間売買をご検討の際は、ぜひお近くの司法書士にご相談ください。私たち司法書士は、法律の専門家として、そして家族の絆を守る支援者として、皆様のお手伝いをさせていただきます。

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