「父が遺した実家」―兄妹三人、それぞれの思惑

Shiho-shoshi

不動産を含む遺産相続についての対応と注意点

突然の知らせ

秋の長雨が続く10月のある日、田中家の長男・健一(45)のもとに一通の連絡が届いた。

「お父さんが亡くなったって…」

スマートフォンを握りしめたまま、健一は呆然と立ち尽くした。75歳になる父・正雄は、故郷の一軒家で一人暮らしをしていた。穏やかな最期だったという。

葬儀を終えた後、健一と妹の由美(42)、弟の大輔(39)の三人は、父が遺した遺産について話し合う必要に迫られた。預貯金が約800万円。そして、父が50年近く住み続けた実家の不動産だ。

「さて、どうしたものか…」

健一は重いため息をついた。この実家をめぐって、兄妹の関係が試されることになるとは、この時はまだ気づいていなかった。

思わぬ高値

遺産分割協議を始めるにあたり、健一は地元の不動産業者に実家の査定を依頼した。正直なところ、築40年を超える古い家だ。大した価値はないだろうと思っていた。

ところが―

「こちらの物件ですが、立地が非常に良好でして。駅から徒歩8分、商業施設も近い。土地の評価額は約4,500万円ほどになります」

業者の言葉に、健一は思わず聞き返した。

「4,500万円…ですか?」

「はい。この地域は再開発の計画もあり、不動産価値が上昇しているんです」

予想外の高額査定だった。つまり、遺産総額は約5,300万円。三人で分けるとなると、一人当たり約1,700万円強になる計算だ。

健一はすぐに由美と大輔に連絡を取った。

相続人それぞれの事情

「4,500万円もするの!?」

由美は驚きの声を上げた。彼女は二児の母で、長男が来年から私立大学に進学する予定だ。教育費の負担は重く、正直なところ、相続分は全て現金で受け取りたいと考えていた。

一方、弟の大輔は違った。

「俺が実家を継ぐよ。思い出のある家だし」

だが、健一は首を横に振った。

「大輔、お前がこの家を相続するなら、俺と由美に代償金を払わないといけない。一人1,700万円近くだぞ。払えるのか?」

大輔は黙り込んだ。彼の年収では、とても用意できる金額ではなかった。

「それに」と由美が続けた。「評価額をどう決めるかでも揉めるわよ。誰かが家を取ると、その人が有利になるか不利になるか、微妙なラインじゃない」

三人の利害は、次第にずれ始めていた。

売却という選択

結局、三人は実家を売却することで合意した。現金化すれば、それぞれが平等に分配できる。理屈としては、これが最も公平だった。

「よし、じゃあさっさと売りに出そう」

大輔がそう言ったとき、由美が待ったをかけた。

「ちょっと待って。どこの業者に頼むの? 売り出し時期は? 契約不適合責任は免責にするの?」

「契約不適合責任って何?」

「古い家だから、後から欠陥が見つかったら責任を問われるかもしれないでしょ。免責にすると売値は下がるけど、後々のトラブルは避けられるわ」

健一も口を挟んだ。

「募集期間も決めておこう。いつまでも売れ残るのは困る。でも、焦って安く売るのも嫌だ」

三人が同じ方向を向いているはずなのに、細かい条件になると意見が割れた。由美は早く現金化したい。大輔は少しでも高く売りたい。健一は慎重に進めたい。

「今のうちに、全部決めておかないとダメだ」

健一の言葉に、二人も頷いた。

売る前に揉めるのは避けたいが、売った後に「こんなはずじゃなかった」と揉めるのはもっと最悪だ。感情的なしこりが残ってしまえば、家族関係まで壊れかねない。

三人は時間をかけて話し合い、売却条件を一つ一つ決めていった。

もう一つの物語

同じ頃、別の相続の現場では、まったく違う悩みが生まれていた。

山田家の四姉妹は、父が遺した山間部の古民家の処遇に頭を抱えていた。

「査定額、300万円だって…」

長女の声には落胆が滲んでいた。しかも、買い手は全く見つからない。過疎化が進む地域で、需要はゼロに等しい。

「でも、固定資産税は毎年かかるのよね」

次女がため息をついた。

「誰が相続する? 私は無理よ、管理なんてできない」

三女も四女も首を横に振った。誰も欲しがらない不動産。押し付け合いが始まった。

「じゃあ、四人で共有するしかないわね」

長女の提案に、一旦は全員が同意した。だが―

「固定資産税、誰がまとめて払う?」

「立て替えた分、どうやって回収するの?」

「草刈りや修繕が必要になったら?」

共有という選択肢が、新たなトラブルの種になりそうだった。

結局、四女が折れた。

「私が相続する代わりに、預貯金は多めにもらうわ。それでいい?」

誰も取りたくない不動産を引き受ける代償として、ほかの遺産を少し多く受け取る。これが現実的な落としどころだった。

「共有状態だけは避けよう」という合意が、ようやく家族をまとめた。

それぞれの選択

田中家の実家は、半年後に無事売却された。三人は売却益を公平に分配し、それぞれの人生に役立てた。

健一は老後資金に、由美は息子の学費に、大輔は住宅ローンの繰り上げ返済に充てた。

「最初は揉めるかと思ったけど、ちゃんと話し合ってよかったな」

久しぶりに三人で集まった席で、健一がしみじみと言った。

「専門家に相談したのも正解だったわね」

由美も頷いた。司法書士や税理士のアドバイスがあったからこそ、感情的にならずに協議を進められたのだ。

「父さんも安心してるよ、きっと」

大輔がグラスを掲げた。

不動産を含む相続は複雑だ。市場価値が高ければ高いなりの、低ければ低いなりの悩みがある。

だが、大切なのは「家族」だ。

遺産分割は、単なる財産の配分ではない。残された家族が、どう向き合い、どう未来を築いていくかを決める、人生の大きな節目なのだ。


【相続のポイント】

  • 不動産価値が高い場合:売却を選ぶケースが多いが、売却条件(時期・業者・責任の範囲・募集期間など)を事前に全員で合意しておくことが重要。
  • 不動産価値が低い場合:共有は避け、誰かが取得する代わりにほかの遺産を多めに分配する方法が現実的です。
  • いずれの場合も:早めに司法書士などの専門家に相談し、感情的なしこりを残さない協議を心がけることが、家族の絆を守る鍵となります。

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